「穴の覗き方(前編~)」
(宇宙を感じるのは、なにも空を見上げた先にある太陽や
夜空に輝く無数の星を見た時だけに限らない。
自分が立っている足元を見下ろした先のずっと先、
下方に地球を貫いて、反対側の空に顔を出し、
ついには宇宙へと辿り着いた時、
上を見ても下を見ても、
思いの先にあるのは同じ宇宙であるという事が分かる。)
・・・「①引力」
昨年の9月末、
ある1本の大木のもとに、人差し指ぐらいの大きさの
小さな穴が地面に開いているのを見かけた。
その穴は、セミの幼虫が羽化をするために大地に顔を出した時にできた穴である。
「おっ、あそこにも穴が開いてるな。」
「あれ、ここにも穴が・・・・。」
気づくと、あっちにも、こっちにも、穴が開いている。
どうやら、この大木を中心とした周りの地面には、
とてもひと目に捉えきれないほどの
無数の穴が開いているようだった・・・。
「こりゃ、大変だ!」(一体何が?)
「こんなに穴が開いてたら・・・・地面が陥没してしまう!」(・・・ほ、ほんとかよぉ~)
僕は、一刻も早くその場から立ち去らなきゃ!と思った。
出来るだけ大地を刺激させぬよう、息を殺し、ゆっくりゆっくりと後ずさりをし、
何事もなかったかのようにその場から離れようとした。
だが、しかし、そこらじゅうに開いたその穴たちの存在は、
目には見えない引力のようなもので、こともあろうか、逃げようとするその僕を
強引に引き戻そうとするではあるまいか!
これはまずい!と思いながらも、目の前に映る穴たちの存在を見て、あることに気づいた。
僕を引っ張るその引力みたいなものの正体に気づいてしまったのだ。
実に魅惑的なのだ。その穴たちが・・・・。
そうやって僕は、先ほどまでの陥没の危機などどこ吹く風、
いつの間にか、そのランダムに散りばめられた穴たちの魅力に
完全に釘付けにされてしまったわけである。
・・・とかなんとか言っちゃって、穴の魅力が引き止めただの何だのと言いいながら、
実は、陥没の危機に恐れおののいて、
足腰が立たなくなって動けなくなってしまっただけなんじゃないの?
と言われれば・・・そんな気もする。
・・・「②完結という小さな落とし穴」
・・・とまぁ、白昼の妄想劇はこれくらいにして、
僕は、大木の周りをぐるぐると回りながら、その穴たちを眺めてみた。
一通り眺めると、”この穴たちの全体像をどうにか把握できないか?”と思った。
なぜそう思ったのかというと、その穴たちがどのような分布の仕方で
点在しているのかをまず大きな視点で見てみたいと思ったからである。
自分と言う視野の小さな視点で、単に穴を穴として見るだけでは、
自分は自分、穴は穴として完結してしまう恐れがある。
それなら「穴」とは何かを大人しく辞書で調べればいいだけの話で
僕は、そんな事になんら興味も感じていなかったし、
自分にとってそれは、気をつけなくてはならない事の一つでもあった。
僕が、知った気になるのは、辞書を引いた時の指の感触と
調べた内容の言葉が放り込まれる一時的な記憶の格納庫、
ちょっと知的な事をしたなという満足感と
その満足感の中で淹れたてのコーヒーを飲む至福のひととき・・・・である。
そんな感じで僕は、すぐいい気に浸ってしまう。
だが、そこで何もかも完結してはならない。
その先があるからだ。
この場合の「穴」という言葉を、例の”知った気の範囲”でしか把握していないのならば、
その知識は、自分の中で瀕死の状態で孤立してるも同然である。
そしてそれは、とても不自然な状態でもあるのだ。
それはまるで、種から発芽した小さな芽が、いたずらにいつまでも大地に根を張らず、
養分が得られないでいる状態とも言えよう。
そういうものは、やがて枯れてしまうのである。
それと同様に、その「穴」という知識もまた、
そこから派生するはずの、まるで生き物のようなシナプスが、
縦横無尽に張り巡らされ、別の何かと結びつこうとする事がなければ、
「穴」という言葉もろとも、遠い記憶のならくの底に落ちていき
死んだ知識として枯れていってしまうのである。
唯一、種と違うのは、取り入れた知識自体が、自力で根を生やすことができないという点だ。
つまり、自分自身が、その知識のシナプスを張り巡らす事をしてやらないとならないのだ。
それらのような事が、いかに大切な事であるかは、
目の前の自然界の成り立ちを見る事でも、すぐに分かる。
この世には、単独で存在しえるものや、断片的な出来事、
孤立した存在などはどこをどう見ても見あたらないように思う。
言い方を変えれば、この世の存在、事象の全ては、何らかの形で繋がり合っているとも言えよう。
それなのに目の前の対象を断片的に切り取って、それで知った気になるのは
どう見てもおかしく、不自然な事なのだ。
今回、自分は紛れもなく、目の前の穴に関心を寄せている。
ならば、自然界に存在するその「穴」もまた、単独で存在しているものでないのなら、
他の何かとの事象と密接につながり合った存在であるということを
常に念頭に入れなければならない。
それによって、自分の中にある一つの知識が、
まるで自然界の成り立ちさながら、
あらゆる方向にシナプスを張り巡らす複合的な知識に生まれ変わると思っている。
そしてまた、一つの知識から派生する根(シナプス)が張り巡らされていないような地盤は、
極めて軟弱である。
軟弱がゆえに陥没する恐れもあるのだ。
その恐れは、陥没してできた穴に、単体の知識が飲み込まれてしまう危険性も含んでいる。
ようは、覚えたことを忘れてしまう・・・という事なのだ。
僕の中では、”忘れる”という事をそのように捉えている。
だからこそ、軽い気持ちで知った気にならないようにしないといけないな・・・
と、僕は淹れたてのコーヒーを飲み終える頃にいつもそう思うのだ。
もうちょっと、満足感に浸っていたいのだけれどね。
・・・「③見えるようにしたい」
さぁ、どうやってこの穴たちの全体像を把握しよう?
手元にカメラがあったので、ひと塊ごとに穴の写真を撮り、
後で一枚一枚つなぎ合わせれば、なんとか全体像が把握できるな・・・と考えた。
だが、それは後でも出来そうなのでとりあえず後回し。
他にも、その大木に登って、全体が見渡せる位置から眺めて見てはどうか?とも考えた。
だが、登ったとしても、生い茂る葉っぱが邪魔をして、見渡すことは難しそうである。
ならばと考えたのが、一つ一つの穴にプレートをさしてマーキングしていく事であった。
そうすることで、穴の分布が目の前で立体的に立ち上がるのだ。
その方法なら、その場にいながら何となくでも全体像がつかめるのではないだろうか?
なんとも原始的な方法かもしれないが、これしかないと思った。
そう思うと、すぐに家に帰りマーキングになりそうなプレートを作って
全ての穴にそれを取り付けていった。
・・・「④怪しい人・・・」
プレートを穴に取り付けている最中、公園を散歩する人たちが、
この様子をじっと見ていた。(いや、見守っていた?^^;)
いい年こいて、僕は大変に恥ずかしがりな面があるので、
もし、その人達に「何をやっているのか?」と聞かれたらと思うと、
汗が、ぶわ~っと噴き出して、いても立ってもいられなくなり、
プレートなんか放り投げて、その場から逃げ出したくなりそうになった。
おい、おい、ちょっと待ちなさいよ自分。
そんなことをしたら、なおさら怪しい人で終わってしまうではないか?
さっきまでの勢いはどうした?
うん、よし、聞かれたら聞かれたでちゃんと思いを伝えよう・・・・
「穴が、穴がいっぱいで・・・”実は頭の中もいっぱいいっぱい”で、え~と・・・それで・・・」
とわけの分からぬ答え方になってしまってもいいじゃないか。
ニコニコしてれば悪いやつとは思われないさ!
それに、逃げ出そうとしたところで、
結局は穴の魅力に引き戻されるだけだろう?
その引力だかなんだかっていうやつにさ。
・・・・と気を取り直して、無事、全ての穴にマーキングを施したあと、
しばしその全貌を眺めることにした。
その頃には、さっき噴き出した汗は、心地のいい汗に変わっていた。
~以後、後編に続く・・・・
ビジュアルも記事も、相変わらず知的でセンスいいですね。視点というか切り口というか、t-youha さんの個性が充分に光っています。
マーキングのプレートを早速につけるあたりなんかは、もう生き生きとした情景が目に浮かんできますよ(笑)素晴らしい!
2枚目の影絵風の表現は真似したいくらいです。3枚目は額付けて飾ってもイイですね。物語の説明イラストとしてもピッタリ収まってますし、全体に(他のページも同じく)記事説明に対するイラストがものすごくセンスあっていいですね。~後編が楽しみです。
by 扶侶夢 (2011-02-27 01:47)
こんばんは、扶侶夢さん。
いや~、そこまで仰ってもらえると、僕みたいな小さな人間は、
す~ぐに有頂天になってしまいます^^;
そうだ!扶侶夢さんからのコメント、プリントアウトして壁に貼っとこう♪
ってな具合に・・・・。もうルンルン気分でしょうがないんです。
でも、幸い?にも次に表現したいことがあるので、
ルンルン気分に浸ってるヒマはない!とばかりに、
すぐさまそれに着手!
有頂天に浸れるのは、最後の最後ですかね。
~ああ、こんな自分でも褒められた事があったんだなぁ~と♪
最後と言っても、決してボロクソ言われた時ではありませんよ。
もう表現したいことが一つもなくなった時です(^^)
by t-youha (2011-02-28 01:55)
by t-youha (2011-02-28 01:56)
深くえぐりとられたところ・・・
ドカ~ンと目に入ってしまった(--)・・・
あっ!シナプスだ♪って妙に懐かしく感じたのは私だけかしら♪
by shio (2011-03-01 06:09)
げげっ~!
やっぱりそこに食らいつきましたかぁ。
モザイク処理するのを完全に忘れてましたよ><;
shioさんにだけは、あれを見せたらまずいと思ってたのに・・・
デジタル大辞泉のばかやろ~^^!!
by t-youha (2011-03-01 23:51)
不思議な絵ですね。
by ねじまき鳥 (2011-03-02 00:23)
ねじまき鳥さん、はじめまして。
自分は、不思議なことが大好きなので、絵の感じも自然とそうなってしまうのかもしれません。
先ほど、ねじまきさんの所にお邪魔させてもらいました!
野田城の記事に金堀人足が掘ったという”穴”の話題が出ていたので、
大変興味深く読ませて頂きました。
by t-youha (2011-03-02 01:01)
t-youhaさん、こんばんは^^
先日、海岸を散歩していたとき、
ものすごくたくさんのカニ穴を見つけました。
乾いていたので、どうせ留守だろうと、
特に気にも留めず、カニ穴の群の上に1歩踏み出したところ、
なんと!地面がサラサラと崩れながら、
踏み出した一帯のカニ穴が細い道でつながったのです!
それこそ、シナプスが張り巡らされていくように・・・。
数十年生きてきて、初めての、思いがけない体験でした。
(その後、とりつかれたようにカニ穴を踏んで歩いたのは、
言うまでもありません。)
数千、数万のカニ穴が私の足でつながっていく・・・
これまでも、もしかしたら、この先も巡りあうことは
ないかもしれない、偶然の私の体験であり、
他の誰も実感として知りえない、私の知識になりました。
by るちまる (2011-03-02 19:26)
ああ、どうなるのだろう。
ぼくは今、自分の記憶の穴が気になっています。
by gillman (2011-03-03 11:00)
るちまるさん、こんにちは^^
これまた面白い体験に遭遇しましたね~!
気にも留めないような事が、一転ビックリな出来事に。
その1歩によって、崩れたのは地面の砂だけでなく、
るちまるさんのありふれた日常の意識も
気持ちよく崩れていったんじゃないですか^^?
だって、
>とりつかれたようにカニ穴を踏んで歩いた
うんうん、きっと踏みしめる足も、ワクワクするような予感と初めての体験でとても夢中になるぐらい楽しかったのでしょう。
目の前のありふれたものが、突如、想像だにしない顔を見せてくれる瞬間って、そうそう体験できるものじゃないですもんね。
意識して見ようとしてても、なかなか見せてくれるもんじゃない。
そう思うと、偶然にも出くわす事っていうのは、非常に大事な事だなぁと思いました。日常に心地のいい風穴を開けてくれるという意味で。
”カニ穴の通路はるちまるさんに通ず”
・・・ですかねぇ♪
あっ!って事は、いつか自分がカニ穴に出くわした時は、
この穴は、るちまるさんに通じてるってことを思い出さなきゃね。
おっと、これで穴に関する知識が、新たなシナプスで繋がりましたよ。
貴重な情報源をどうもありがとう!
by t-youha (2011-03-03 16:27)
gillmanさん、こんにちは。
今、ちょっとピンときましたよ。ハンマースホイの描く風景って、
ひょっとしたら、記憶の穴の風景なんじゃないかって。
ずれてたら・・・ごめんなさい。
みんなあるんでしょうね。記憶の穴が。
でも、大人になるにつれて、その事さえも忘れられた穴になってしまってることも多いんでしょうね。穴にもいろんな穴があると思います。
穴のまんまでいいような穴もきっとあるんですよ。
かと思えば、無理やり埋めて解決したことにしてしまった穴もあるでしょう。
中には、子供の頃のふとした疑問が、記憶の穴としてぽっかりと開いたままの穴もありますね。くだらないことも含めてですが^^
ちなみに自分が自分として認識できるのは、過去の自分と言う記憶の積み重ねがあるからだという言われ方もしますが、そこに記憶の穴が存在すると自分という認識が少し揺らいで不安にかられたりするのかもしれませんね。
by t-youha (2011-03-03 17:12)