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「幻想の目覚め、眠る根源~①」

現代人は、とかく本質的な事には眠らされ、どうでもいいことにばかり覚醒させられる。
別の言い方をするならば、我々は、起きながら眠り、眠りながら起きているのだ。

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~寝ている時に見る夢については、様々な見地から様々な形で述べられているという事は
皆さんもご存知かと思う。例えば、心理学の分野であったり脳の働き、睡眠のメカニズムなどを研究する専門分野であったり、又はそれが、神秘的な観点から呪術的に語られているものだったり・・・・。

だが、それだけではない。
娯楽的要素を含みながらもアニメーションや小説、映画といった想像的な作品において、
ストーリーの中でそれが巧みに表現されているものも多い。
僕は最近、そんな「夢」の世界を題材にしたアニメーションなどに色々と興味を持ち始めている。
その中でも、作者は特に意識していないのかもしれないが、一見重要ではないようなセリフの中にも何か非常に暗示めいたものとして、僕の感覚に引っかかってくるものがよくあるのだ。


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ART:習作~「Peachhul Moon」

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「夢の中の出来事は、幻想だろうか?」

人間にとっての大切な何かに気づくとき、同時にそれは、

不必要な何かを眠らせることでもあるのだと思う。

例えば、夜空の星を自分にとっての何か大切なシンボルとして、それを胸に秘めているような人は

きっといると思う。

都会でそういう星に出会いたければ、まずは静かに眠る事だ。

日常の騒がしい胸の内を静かに落ち着かせ、それを眠らせるのだ。

そうやってみんなが瞼を閉じれば、町の騒々しさも静まり、明かりもひとつふたつと消えていき、

やがて夜空には無数の星々たちが、姿を現すことになるだろう。

だが、そんな光景もざわついたままの心にとっては、無性に心細く思えるものであり、

どうにもならぬ胸騒ぎが込み上げて、更なるざわつきにじっとしていられなくなる。

だが、もし君がざわつきもせず、無心で夜空を見ることが出来たなら、

君の目には、寝ている時に見る夢の世界と寸分違わぬ世界が広がっているはずだ。

だが、何も驚くことはない。

君が夢を見ている時と全く同じようにその光景を当たり前のように受け入れることだ。




君は現実にいながら夢のような体験をしている・・・・・。

その時の感覚にこそ、僕らにとっての大切なものとは何か?の答えがある。




言葉にしなくてもいい。

いや、日常に戻った君が言葉にしようものなら、きっと頭の中の混乱を招くことになるだろう。

言葉で具体的に述べる事などは、決してできないのだ。

なぜなら、君が体験したその光景は、日常の君自身の感覚を超えた、

宇宙そのものの体験だからだ。

自分という意識の輪郭がそれを体験したのではなく、

君そのものがそれに溶け込んでいったのだ。

その時の君は、宇宙そのものなのであり、君の意識の輪郭は完全に消滅している。

だから、日常に戻った君が、自意識の輪郭上でそれを語ることなどできやしないのだ。

まるで、ついさっきまで見ていた夢をなかなか思い出せないもどかしさのように・・・・。

そういった事も含めて、自分の自意識の輪郭とその輪郭が溶けてしまった時の

言葉にできぬ感覚とを知った時、君が胸に秘めたシンボルと初めて一体化できるだろう。

それの感覚は、君がどんな状態であっても永遠に続くものとして・・・・。

そして、そういう君が日常の下で生活している姿こそが、

全ての人々への最大にして最高の語りとなる。





「みつばちマーヤの冒険・ED」
この歌は、さらっと大事なことを伝えてくれます。星の消滅と誕生、夢が聞かせてくれるはなし。
この場合の夢とは、その夢を生み出す自分自身の事であると思います。
自分が自分に聞かせてくれるのです。
ちなみにこの曲の歌詞に登場するスイレンの花ですが、漢字で書くと水蓮ではなく、「睡蓮」と書きます。

「みつばちマーヤの冒険」allcinemaより抜粋~
「ドイツの小説家W・ボンゼルスの代表作をアニメ化した、昆虫を擬人化する趣向の日常メルヘンアニメ。生まれたばかりだが、好奇心はとても旺盛なみつばちの少女マーヤ。その探求心のとどまることはなく、教育係のカッサンドラ先生から次々と知識をねだる。やがて巣の周辺の花の蜜を取りつくしたマーヤは、新たなお花畑を求めて外界に出るが、そこには全く知らない新しい世界が広がっていた。追ってきた仲間のウィリーとともに、マーヤは未知の世界のときめきを味わう。「世界名作劇場」の日本アニメーションが、ドイツの映像会社ペータフィルムと共同製作。なお「チータ」こと人気歌手の水前寺清子が「チータとみつばち合唱団」の名前で、合唱団とともに主題歌を熱唱している。

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RobertCole

天高くから落ちてきた赤い雫が透明な水面に落ちてやがて薄まり、ただそこに残るのは透明な水と波紋の消えた静かな水面。
夢と現実を分け隔てるのは水面と名付けた存在しないもので、落ちてくる途中の空も、溶けて薄まる透明な水も、言い換えれば私に触れる私そのもの。
by RobertCole (2013-11-23 13:05) 

t-youha

RobertColeさん、おはようございます。

>言い換えれば私に触れる私そのもの。

そういう感覚は忘れたくないものですね。水面を覗き込めば、そこに自分の姿が現れる。ひとたび起きた波紋によって、それがまるでTVのノイズのように自分の姿をゆがませていく。実に素直。自然界の現象の中に自分がいるのはとてもうれしい。

頭の中の知識や言葉が、自然界の営みによるあらゆる現象と自分の存在とを切り離してしまわぬよう、世界はなんとつまらないものだと嘆く事のないよう、そして頭の中で孤独にならぬよう、自然界の中に身を置く意識はとても大事なのではないかと思います。極端に言えば、水面に映る自分を本当の自分だと思ってもいいのかもしれません。
水面に映る自分が、それを覗き込む自分に伝えてくること・・・・
それは生と死さえも自然界の中の営みとしての現象であり、すべてを包括した自然界には、頭で思う寂しさや悲しみは一切ないと。

by t-youha (2013-11-24 10:16) 

青の風画

御無沙汰です。
現実が幻であることはそろそろ
気づかなくてはと思っています。

by 青の風画 (2013-11-25 23:43) 

t-youha

青の風画さん、こんばんは。
青の風画さんは、そういったテーマが一貫しておられますね。
その上で、そのように仰るという事は、相当の意味があるのだろうと思いました。
青の風画さんのブログ「青の風画」より「形のない世界」の記事文中の

>形があるから失う。
形がないから無くならない。

という言葉を見つけましたが、それについて思うことは、我々の日常生活は形あるもの(形あるものに与えた価値と同等に形のないものに対しても価値あるものとして形を持たせているものも含めて)に囲まれて営まれており、それら形あるものを手にしたり失ったりする実感やそれに伴う喜怒哀楽こそあれ、それこそがこの世の現実だと思った瞬間、形のないもの、目には見えないものの存在を忘れてしまいがちです。そうとは分かりつつ、日常の形あるものにすぐに埋もれてしまうもどかしさは、ある意味我々の面白い側面でもありますが、それを解消するために作品つくりに向かわせるのだとすれば、クロッキーもまた有効な手段ではないだろうかと思います。(僕の場合は、青の風画さんのクロッキーの能力には遠く及びませんが、自分の手癖や記憶、対象への好悪の念など自己のフィルターがついていけない方法で素早く対象そのものを記録するという点においてですが・・・・つまり、僕は、速写しようがじっくりと時間をかけようが、ハッキリと対象を見て描いているつもりが、実は幻を描いているだけで、その対象の本質的なものは全く見ていない事がほとんどなので。だからこそ・・・・)
by t-youha (2013-11-26 22:41) 

扶侶夢

例えば、ゴムボールのような球体に切れ目を入れて、クルリとめくり返せば…内側が外になり、オモテがウラガワにひっくり返る。
ついでに、オモテとウラとを繋げてみればアラ不思議…。
オモテの行き着く先にはウラがあり、ウラの果てにはオモテが顔を現わす。
たった一枚の面が宇宙の全てを語りつくす。

>君そのものがそれに溶け込んでいったのだ。

>全ての人々への最大にして最高の語りとなる。

肉体に囚われず、肉体から解放されて、初めて本来の「思考」になるのだと思いますね。
by 扶侶夢 (2013-11-27 23:49) 

t-youha

扶侶夢さん、こんばんは。
~フムフム♪なるほど!
ウラと思いきや、オモテ・・・・。オモテと思いきや・・・・。
あれれれ?どっちかハッキリしてくれないとオモテ街道(怪しい裏道の方が好きですが・・・)も歩けやしないじゃぁぁん。
あ、そうか!これは現代芸術?いや、科学か?物理学?え?哲学かな?あ!マジックショー?催眠術?・・・・どういった理屈なのか分からなくとも、ありのままに見れば、そこに素敵な表と裏の出会いが・・・・。ひょっとしてこの怪しげな(元)ボール、同時に外と内の概念をも簡単にひっくり返してくれているのかもしれない・・・・。我が肉体と肉体の皮膚1枚で隔てられた外側の世界、そのどちらもが素敵な出会いを果たす場所とは・・・・無期限の宿題でいいでしょうか?
by t-youha (2013-11-28 23:37) 

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