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「神鳴りの来訪~前編」

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「きっと自分は、死んだにちがいない・・・・」

と、そう思わざるを得ないほどの出来事に、二度遭遇した事があります。

そのうちの一つをこのブログにて書き記そうと思います。

その当時、僕は建築関係の仕事に就いていました。

その日は、一人で屋上階にて作業をしていましたが、

遠くの方で鳴り響いていた雷鳴が次第に近くなっている事に気づき、

”すぐに作業を中断して、建物の中に非難しよう”と思ったその矢先に、それは起きました。

突然、この世のものとは思えないほどの爆音と激しい閃光が、同時に襲ってきたのです。

その爆音は、耳の鼓膜で聞き取るような音の次元を通り越し、

想像も絶するほどの巨大な怪物が突然現れ、大きな怒りの怒号をあげたかのような音であり、

もしくはそれが、物理的な重ささえも伴うような、そんな巨大な音の塊となって、

空を四方八方バリバリと破り裂き、大地を殴り倒し、耐え切れず、地球が苦痛に顔を歪めた音・・・・。

また、同時に襲ってきたその激しい閃光は、自分の体もろとも、この世の全てを一瞬にして無にし、

天も地も存在しない白一色だけの窒息するような世界へと変貌させた恐怖の眩い眼光・・・・。


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「雷が・・・落ちてきた・・・・僕に。」

と、そう思ったのは、その激しい閃光と爆音のさなか、

体の内部に経験したこともないような衝撃が走り始めた時でした。

帯状のミリミリとした感覚が、頭のてっぺんから胸へ腹へと内部を波打つように走り始めたのです。

まるで帯状に並んだアリの大群が、僕の体の中を前へ後ろへ、前へ後ろへと縫うように

ザワザワと行進していくような感じにも似ていました。

あの閃光と爆音で、僕は床に叩きつけられたか、または吹き飛ばされたような気もするのですが、

その波打つ感覚を感じている最中は、直立の状態だったようにも記憶しています。

もしかしたら、体が硬直して全く動けなかっただけなのかもしれませんが・・・・。

「・・・・落雷。今、体の中を電撃が走り抜けている・・・・」

かつて子供の頃に見たアニメのよくある感電シーンを一瞬思い出した。

髪はチリチリに爆発ヘアーとなり、体は透けて骨が点滅するように見え隠れし、

全身が黒焦げになったあの姿を。

だが、不思議な事に体は引きつって硬直した感覚はあったものの、

痛いとか苦しいとかといった感覚は、全く感じませんでした。

そればかりか、その波が通過していく様子を心の中で冷静にしっかりと実況中継できたほどです。

その波打つ感覚は、文字通り走り抜けるようでありながら、とてもゆっくりと

穏やかな感じで内部を伝っていくような感覚でもあったのです。

一見、落雷というのは、瞬時の出来事のように思われるのだが、

その状況は、相当に長い時間を要したように思われました。

「はたから見れば悲惨な死に方かも知れないが、当の本人からしてみれば、

その見た目とは裏腹に、痛みや苦しみを通り越して、麻痺した先の穏やかさといった

感覚に包まれながら、ゆっくりと流れる時間の中でだんだんと生と死が交じり合い、

やがて生のフェードアウトを静かに迎えるものなのかもしれないな・・・・。」

「自分は今まさに、その最中にちがいないのだろう・・・・」
                 
                    ※

                    ※

                    ※

やがて遠くの方から、その一瞬に圧縮された長い長い時間の終わりを告げる声がした。

「雷が落ちた!!」

足場に上って作業をしていた職人たちの声だった。

生きている人々が暮らす世界の音は、死んだ者の耳にもちゃんと聞こえてくるものなのか・・・・。

建物内の照明関係は全て落ち、暗雲立ち込める空の暗さも手伝って、

昼と夜とが交じり合ったような、不気味な薄暗闇の中を鋭い緊張が走りぬけ、

現場は一時騒然と化した。


(※落雷の瞬間の映像(外部からの拾い)。再生の際には音に注意!見る人によっては、
  非常にショッキングに感じる映像かも知れません。尚、この映像が本物かフェイクかという
  事については、僕には判断しかねますが、落雷の瞬間の様子は、自分が遭遇したものと
  とてもよく似ています。ですので、補足的な意味合いを兼ねてこの動画を添付しました。)

追伸: RobertColeさんをはじめご来訪の方々、どうもスミマセン!一昨日の記事は、
    書き途中のものを手違いでアップしてしまいました・・・・。
    とんだ慌て者で申し訳ないです^^;!
   

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川と空に狭間無し

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この記事を書いてからアップするまで、気づいたら二週間が経ってしまいました・・・・。
みなさんのブログに遊びにも行けずじまいで・・・・
遅ればせながら、暑中お見舞い申し上げます!

元気でお過ごしでしょうか。もうしばらくすれば、秋の気配が感じられるようになるでしょう。
でも、気を緩めずに。猛暑のぶり返しなんてものが、ないとも限らないのでね☆

 先々週、学生時代の仲間たちと神奈川県にある中津川という川に遊びに行きました。
僕らは川の流れの緩るそうなところを探して、水上に仰向けになって浮いたまま、
頭上に広がる青い空を眺めながら、川と空の狭間でしばらくの間、プカプカと漂っていました。
川のゆったりとした流れ、そして空に浮かぶ雲の流れに身を委ねるのは、
何とも言えず心の底から気持ちがいい。
まるで、自分が川や空の雄大さに溶け込んでしまったかのような、そんな感じ。
もしくは、自分がいなくなってしまったようなとても不思議な感覚。

なんでこんなに気持ちがいいんだろう?

それは、自分の泳ぎに自信があり、恐怖感もなく安心して浮いていられるから・・・・ではない。
そんな自信なんか、さっさと自然を相手に木っ端微塵と粉砕されてしまった方がいい。
いくら流れの穏やかな所で浮いてるだけであろうと、油断は禁物である。
たまには流れの変化で頭から水をかぶる事だって当たり前のように起れば、
ついでにガボっと水を飲まされる事だってしょっちゅうある。
空に見とれ過ぎて、静かに隠れていた水中の大きな岩にふいにぶつかる事だって。
日の当たる箇所と日陰の箇所では、水温の差が激しい。
身を突き刺すような冷たさにふいに触れた瞬間、ビックリして思わず恐怖を感じることだってある。
僕らはその日、水しぶきの激しい急流の箇所を泳いで横断したりもしたが、
場合によっては、人間がどうこう出来るものではないと思い知らされたりもする。
思い知らされるばかりか、その事を振り返る間もなく即座に絶命に至る事だって、
どんな人間にも容赦なく起こりうるのだ。
それが自然とふれあおうとする人間の持つべき心構えというものなのだろう。

だけどね、それでも、気持ちがいいんだ。

それはやっぱりね、身を委ねてしまう気持ちよさなんだと思う。
でもね、心が感じるような気持ちよさとは違うんだ。
冒頭に述べたように、まるで自分が心もろとも溶けていなくなっちゃったような感じ。
だから、川と空の狭間に浮かぶ僕は、存在していないのと一緒なんだ。
「川」、「空」と区別をする人間が不在ならば、川や空との狭間も生じない。
そうするとね、ず~っと浮いていられるんだ。うまく言えないんだけどね☆

ちなみに浮くためには、人間が本来持っている浮力に身を任せることが条件だ。
身を任せるのは一体誰だ?もちろん自分自身なのだが、それは自分の心とも言えるだろう。
心が恐怖を感じて邪魔をしてたんじゃ、とても浮くことは出来ない。
それに恐怖におののく心は、呼吸までも強張らせてしまう。胸も萎縮させる。
固く浅い呼吸は、萎縮した胸の浮き袋に十分な浮力を与えてはくれない。
なら、思いっきり息を吸い込んで、胸をパンパンにすればいいってもんでもない。
そんな勢いで吸ったら、やっぱり体が強張ってしまうんだ。
だって、そんな不自然な呼吸を思いつくのは、紛れもなく恐れに満ちた心の仕業なんだしね。
いつもの穏やかな呼吸で十分なんだ。
(※ ちなみに余談ですが、僕は仕事の合間を見つけて、月に合計25kmから30kmほどの距離を
プールで泳ぎますが、突如として顔も水に付けられないほどに全く泳げなくなる時があります。
水に浸かるのでさえ、全身を締め付けられる思いで見る悪夢のようです。
どうしてそのような事態に陥るのかは、最近なんとなく分かりつつあるのですが、
恐らくは「水」そのものが、単純に怖いというわけではなさそうです。
心や精神的な部分が抱いている日常での恐怖が、象徴的に「水」という形を借りて、
僕に迫ってくるのだと思います。ですから、その恐怖に打ち克とうとすればするほど、
その反動で無意味に泳ぎの距離が増えていったと考えるのが妥当だと思っています。
そういった恐怖に辿り着き粉砕することが出来るのは、泳ぐスピードの向上や距離といった
ものではけっしてなく、”そのような恐怖は、実は存在しない”という事を本当の意味で
見破ること以外にないのでしょう。知識の範囲で解決しても意味がないのです。
今回の川遊びにおいて、何かを掴んだ気がしています。その事を通して、
自分の抱いている恐怖が一体何なのかを探っていこうと思っています。
おかしな話ですが、そういった意味では、僕は毎日が小さな冒険みたいものとなっていて、
そのような自分に翻弄させられる事も多いですが、とても充実しているのです☆)

                ※

~僕は一体どれだけの間、漂っていたのだろう。時間間隔さえも希薄になってしまう。
ふと、視線を空の景色から上流の方へと向けると、仲間が米粒ぐらいの大きさで見えた。
と同時に水中で腹の虫がなった。どうやら昼時の時刻らしい。
僕は我に返ったように、泳いで上流へと戻ろうとした。
だが、流れに逆らって進むのは容易ではなかった。
泳いでる最中、自分が溶けてしまったかのような、あの何ともいえない気持ちよさを思い出しながら、
視線の先にいる米粒大の仲間の姿を見ながら、こう思った。
あの感覚は、地上での日常生活においても、きっと同じことが言えるに違いないんだ・・・・。

ついには息も切れ、泳いで戻るのをほぼを諦めかけた時、
僕は再び下流に向かって漂うことにした。

平成二十三年 盛夏



※ この曲のPV、とても面白い作りになっています。様々な仕掛けがアナログ的に施されていて、
映像が無限に続いていく構成となっています。恐らくは切り張り無しの一発撮りで完成させている
と思われますが、それゆえ、心地のいい緊張感や生身の呼吸みたいなものが伝わってきます。
文字のオブジェを成立させるためのカメラのポジショニングやボーカルの歩くスピードが、
ギリギリのところで納まったりする感じは、ドミノ倒しやピタゴラスイッチを見るような感覚で
ついつい見入ってしまうほどです。
この構成を支えるスタッフの人たちが、画面の外側でどのように動き回っているのかも
思わず想像してしまいます。泥臭く動き回ってるんでしょうね~。いや、案外シンプルなのかな?
それにしても、このバンドのベース、カッコいいなぁ。

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「その刹那、すべては宇宙の思い出となる」

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                      それは、瞬く間に始まり

                       瞬く間に終焉を迎える

                        瞬く間の出来事。

                         いのち・・・・

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                     その限られた瞬刻の狭間で

                      ふたつの灯火が出会えば

                      ひとつの誘爆を引き起こし

                        その時走る閃光が
 
                   世界をほんの一瞬だけ明るく照らす。

                     その刹那、人々はこう思う。

            「世界は、ぼくらの一瞬の煌(きら)めきでできている・・・・。」

                      @個人制作_0721_10.jpg     

                      宇宙の歴史と比べれば

                      それはあまりに一瞬で
        
                   思い出にしがみつく間もないままに
 
                        ぼくらのそれは

                    一回きりの華々しい閃光とともに

                    鮮烈のうちに役目を終えていく。

                    「このとてつもなく大きな世界は、

                     そんな小さな煌めきたちの

                     絶え間ない連なりによって

             世界を連綿と照らし続けることでできているのだろう」

               
                         あれから間もなく

                       すでに閉じたまぶたの

                     皮一枚を隔てた外の世界で、

                     次の新しい命の煌めきたちが

                    儚くも世界を一瞬明るく照らす頃、

                    かつての煌めきだったぼくらの痕跡は

                       跡形もなく消滅を迎える
                     
                  そのかわり冷たく閉じたまぶたの内側で

                      ぼくらは宇宙の記憶と溶け                   
                        
                        永遠の今と昇華する。

                       もし、宇宙に果てはなく

              今この瞬間にも宇宙は膨張し続けていると言うならば、

                  それは一瞬過去の無数の煌めきたちが、

                    この瞬間瞬間に宇宙の記憶と溶け

                 宇宙そのものとして昇華していくからであろう。

                     どんなに小さな煌めきであろうと

                それは宇宙の歴史であり、宇宙の思い出なのだ。

                        そんな思い出の数だけ

                         宇宙は膨張してゆく。                                 

 追記:~先日観たある映画の話なのですが、母親と二人きりで暮らす主人公(子供)が、不慮の事故で母親を亡くしてしまいます。一人きりになってしまったその子供は、あることをきっかけに自分の記憶さえも失ってしまいかねない状況にさらされます。その時の子供の言った言葉が「おっかぁのことを忘れるのは嫌だな。オイラまで忘れちまったら、誰もおっかぁのことなんか覚えていなくなっちまうよ。生きてたことさえ忘れられたんじゃ・・・・」
命の消滅と記憶の消滅・・・・考えれば、どちらも同じように辛いことです。残された側は生きながらにして、なくしてしまった事への折り合いをどのようにつけたらいいのだろうか・・・・。
気休めかもしれませんが、ひょっとしたら、もっと大きな括りで人類全体をひとつの命、ひとつの記憶、いや、宇宙全体をひとつの生命、ひとつの巨大な思い出と思えたなら、それらは永遠にあり続けるもののような気がしてきました。そしてまた、自分自身の消滅についても同様に。



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パーフェクト・スカイ

皆さんは、子供の頃から数えて何回ぐらい空を見上げただろう?
と言っても、視界に入ってくる風景の一部に何気なく空を見てるようなことは
いくらでもあるだろう。
だが、意識的に空を見上げたような記憶となるとどうであろうか?
1年に一度くらいの割合?
それとも数年に1度?
遠い遠い過去の記憶?

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先日、YOUhaTUBE(ちょっと略してYOUTUBE)でとても不思議な映像を目にした。
それは、ある一人の男性が、浮き輪かなにかを身に着けて、
あれよあれよと空に浮かんでいく様子が撮影された映像なのだが、
それを見て最初はビックリはしたものの、
すぐに「まぁ~よくできたCGだな・・・・」ぐらいにしか思わなかった。
だが、その動画の視聴数は瞬く間に世界規模となったようではあるが・・・・。
だが問題は、その翌日である。
それとよく似たとんでもない映像の数々が何者かによって投稿されたのだ。

~その日、確かに僕らは、見たこともない空の風景を目のあたりにした・・・・。

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どこかの河川敷か小高い丘といったところだろうか。
にわかに集まりかけた人々が、空の一点を見上げているような、
そんな光景が映し出されている。
音声を注意深く聞いていると、
「オレンジ!オレンジ!」
「あれ、UFOじゃねぇか?」
「いや、飛行機だろ!」
「衛星かもしれないぜ?」
などと叫ぶように発する人々の声が聞こえる。
後にカメラは、人々が見つめる方向にレンズを向けるのだが、
その映像では、どこに何が映っているのかハッキリと認識することは出来なかった。

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だが、他にもそれと似たような映像がいくつもアップされている事に気づく。
↑ これはタイトルに「千葉県上空」と書かれていた映像のものである。
その映像では、何かオレンジ色に光るいくつもの物体が空に漂っているのが確認できる。

@個人制作_0623_07.jpg

こちらは、「神奈川県横浜上空」とあり、やはり先の映像と似たような光景が映し出されている。
これはひょっとして、オレンジ色に光るUFOなんじゃないだろうか?
そういえば、UFOの正式名称はたしか”Unidentified flying orange ”だったような・・・・。
そうだ、間違いない!空飛ぶオレンジだ!未確認飛行オレンジだ!
他にも、様々な投稿者によって日本各地で撮影されたそれらの映像を観ることができた。
どれもよく観れば、それは人間がオレンジ色の浮き輪みたいなものを利用して
浮いているようにも見えるのだが、それといった確証を得るような手がかりは、
何一つつかめなかった。

一体あれは何なのか?

一見、それは日本国内のみで沸き起こった国民的関心事であるかのように思えたのだが、
実は、それと似たような光景は、日本のみならず世界各地で見られた現象であった。

それは、イタリア上空でも・・・・

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エジプト上空でも確認された。

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パプアニューギニアでは、アメリカ人観光客の手によってそれの撮影に成功している。

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そして、ブラジルの空にも、それは現れた。

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このように、世界のあらゆるところでその光景が報告されていたわけである。
だが、自分が視聴した時点で、アップされていた動画の大半は削除扱いとなっていた。
僕は、何かただならぬ予感を感じ、全ての動画を保存しようと試みたのだが、
事もあろうに、ダウンロード専用ソフトが不具合を起こし、ひとつも取り込む事が出来なかったのだ。

それから数日も立たぬうちに、それらに関する全ての動画は跡形もなく削除されていた。
あの一連の光景は一体何だったのであろうか?
世界中が見た幻覚だったのだろうか?
それよりも不思議なのは、今ごろ地球上はこの話題で持ちきりであろうと思いきや、
誰もこの話題を口にしていないことだった。
今、自分自身が本当に気になっているのは、あれが何だったのかという事よりも
自分が目の前の雑事に追われる中で、自分の視界の外、上空にはあのオレンジ色が
一瞬でも浮かんでいるんじゃないだろうかと気になってしょうがない事であり、
そんな風には思っていても、あれ以来一度も空を見上げたことがないという事実だ。

気になっているのに、なぜ僕は空を見上げようとしないんだろう?

それ以来、そのような自分自身への疑問は、日々の生活の中で事ある度にしつこくまとわり付いた。

だが、それでも尚、僕は一度たりとも空を見上げようとはしなかった・・・・。

@個人制作_0705_01.jpg



”あれは誰かの悪戯が発端となって沸き起こった、世界的規模の悪戯だったんだよ”



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僕らは、子供の頃から数えて何回ぐらい空を見上げただろうか?

見上げたところで、何もないし何も起こらないのが空だというのなら、
その者の空には何もないし何も起こらないのだろう。

一体何時からだろうか?
僕らの生きる世界は、意識的にも空間的にもぺっちゃんこになってしまったような気がする。

それはまるで、空気を失くした浮き輪のように、
何かの拍子に思いが漏れ出て、世界は急速にしぼんでしまい、
中身を失くした平べったい世界の中で、我々は身動きがとれずにいるかのように思えた。

今僕は、もし、あれが本当に悪戯だったとしても、
それは中身のない、ただの悪戯だったのではなく、、
世界が再びふくらみを帯びた懐のある世界に戻ろうとするきっかけを与えてくれるような、
そんな救いなる想いが吹き込まれた宇宙の悪戯だったんじゃないかと
にわかに思い始めている。



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「アンニュイなうずまき」

降ってるのか
降ってないのか
分からぬような雨・・・・
エッジの効いてるらしい言動や
メリハリのあるらしいライフスタイルといった
押し付けがましい提案が
いささか幻想気味に渦巻いていたことを
静かに証明するかのように
景色は霞に沈み
おのおのの輪郭が溶けてしまっている・・・・

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次から次へと思い出されること・・・・
たとえそれが自分の記憶か
誰かの記憶だったか
はたまた自分のつぶやきか
映画の中での登場人物のセリフだったか
そんなことはどうでもよく
考えてるのか考えてないのか
はっきりとしないスレスレのところで
ただ、それらが降り注ぐままに 
ぼ~っと眺めているだけ・・・・

そうしてると頭の中の風景が
次第に何かと馴染んでゆく気がした

そんな時に
急に日が差せば
さっきまでの霞と溶けた景色たちは
おのおの一斉に色味を帯び始め
それらが持っていた
本来の鋭い輪郭線が
瞬く間に本性を現したかと思うと
自分の頭の中の
柔らかな風景を
手術で使うメスのごとく
鋭く硬質な線描で
麻酔もなしに
無理やり解体しようとする

慌てたカタツムリは
しなやかな葉の裏側で
硬い殻の中に閉じこもれば

戸惑う自分は
普段より
少しきつめの化粧を施し
塗りこんだ粉の裏側で
じっと息を潜めながら
冷たい輪郭線に
背をむけるのが
精一杯だった

                 
                    Nina Nastasia~「Ugly Face 」


(※曲はNina Nastasiaで「The Blackened Air」(2002年)より「Ugly Face 」。思わずジャケ買いしてしまいそうな一枚でした。黒い部分の文字とオレンジの部分の文字の位置が微妙にずれていたり、黒がオレンジを覆い隠そうとする緊張感がたまりません。ちなみに今ではレコードやCDに限らず、小説や漫画でも「ジャケ買いする~」と言ったりするようですね。)



 
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「こころのちから」

ART;「ヒカリの記憶より~照射~」 by Teruyuki Youha

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きのう、こころの灯りを消してしまった。
かなしい思いの辛さから解き放たれたくて。

でも、どんなにこころを伏せたとしても、
目から入ってくるえげつない光が、僕のこころを的確に照射して、
まぶしくそむける僕の体を、動揺する僕のこころを、
どこか遠くの知らないところへ連れていこうとする。

「ねぇ?僕のこころは悪いことをして捕まっちゃったの?
それともそこに行けば、僕のかなしい気持ちを忘れさせてくれるの?」

次第に不安になってゆく僕のこころが、ほんの一瞬だけ勝手にママの顔を映し出した。
それはどんなにまぶしくえげつない光よりも、強く優しい光に見えた気がした。

本当は、こころの灯りを消すんじゃなくて、
そのえげつない光の方を消せばよかった・・・・。
それに立ち向かう事の出来る唯一の力・・・・・こころの力で。




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「地球の目玉」


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この絵は7~8年前、親友が組んでいたバンドのライブ告知用の

フライヤー(チラシ)として、描いた絵です。

先月アップした”眠る人のスケッチ”を探していた時に、

たまたまひょっこり出てきました。

記憶では、締め切り前日に慌てて(いつもですが・・・)描いたので、

とってもいい加減ですけど。(いい訳ですけど)

ま、基本的に僕の場合、”なぜだか”とってもいい加減な絵が多いのです・・・・☆

ちなみに、なんで目玉焼きかというと、親友がライブで演奏する曲の中に、”朝”にちなんだ

曲があったからだと記憶してます。

当時、朝は必ず目玉焼きを食べていたとか、それが大好きな食べ物だったとかいうわけではなく、

それどころか朝食は食べもしないくせに目玉焼きこそが、僕にとっての朝の象徴でした。

そこで僕は、その目玉焼きがある風景を描こうと思い立ったのです。

テーブルの上の白いお皿と出来立てホヤホヤの目玉焼き・・・・とは、はなから思いもせず、

目玉焼きのある風景は風景でも、誰も見たことのない目玉焼きの風景が描けたらいいな~

という理由だけで一気に描いた絵だと思います。

でも実は当時、コンビニから大量の食品が”無駄”な廃棄物として出されるのを”目”の当たりにし、

その有様に違和感を覚えた自分は、廃棄物の山が当たり前のように、

我々が”目”にする日常の風景に溶け込んでしまった姿をありのままに描こうとしたんだ・・・・と、

ついつい格好いい感じで当時の解説をしようと、記憶の捏造をしかけた時、

目玉焼きの”目玉”に「そんな事しちゃ駄目よ♪」とジッと睨まれた気がしたので、

無駄なカッコつけは諦めて、そのままの事を書いたつもりです。

ちなみに駄目とは、無駄な事も意味します。



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「僕はマカロン~後編~」

~前編からの続き~

僕は、以前から「マカロン」という言葉だけは知っていたし、
それが世の乙女たちの心を魅了してやまないスイーツだという事も知っていた。
でも僕は、マカロンを実際に見た事がなかった。
そこで、マカロンという言葉の響きだけを頼りに己の想像力をフルに活かして、
マカロンという謎の実態像に迫ってみようと思い立ったんだ。
でも、それはあえなく失敗に終わってしまった・・・・。

そのことが、あまりにショックだったのだろうか、わけが分からず幻覚まで見てしまう始末。
その状況をどうにも打開することが出来ぬまま、
悶々とした息苦しい苦悩の中で、いつしか僕は眠りに入ってしまった・・・・。

そしたらすぐさま夢に出てきたんだ。幻覚で見た、あのさっきのマカロンが。
あか色、き色、あお色のマカロン。
そして、そのマカロンたちがこう言うんだ。「いっしょに遊ぼうぜ!」

マカロンがしゃべり、いっしょに遊ぼうだなんて・・・・
僕は一瞬、またもや幻覚を見てしまっているのだろかと不安になったが、
すぐにそんな事を気にする必要はないと悟ったんだ。だって夢の中である。
夢の中で見る幻覚は、幻覚じゃなくて現実さ!
その時から僕は、悶々としていた自分がまるでウソのように気持ちが晴れ晴れとした。

いや、さっきまで悶々としていた自分こそが、夢の中の苦しみだったのだ。
そして今の自分は、紛れもなく夢から覚めた喜びそのものなのである。

なんて素敵なことなんだ!

僕は彼等がしゃべろうと何しようと、ちっとも不思議に思わない。
だってそうだろ?これが現実なんだから。
それから僕は、彼等といっしょに近くの公園へと遊びに出かけたんだ。
      
          ※
          
          ※
    
          ※
  
          ※

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あか色マカロンは、活発。
あお色マカロンは、知的。
き色マカロンは、カレーが大好き。

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森の小道をヒョコヒョコと歩くマカロン

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すると、あか色マカロンが、遠くに何かを見つけたよ。

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わぉ!チューリップ畑だ。

なんだか、翼を広げてダンスをしている鳥のようにも見えるね。

き色チューリップにあか色チューリップ・・・・

あお色マカロンは少しだけ、しょんぼりしてたけど気を取り直してみんなで記念撮影。

「はい、みんな笑って笑って~、ハイ、マ・カ・ロン!」

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そのあとは、みんなで追いかけっこをして遊んだよ。

誰がオニってわけじゃないんだけどね。

とにかく追いかけ追いかけられってのが、わけもなく楽しいの☆

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ここではね、”お花らしさ”とか”マカロンらしさ”なんてのはないんだよ。

ここにあるもの全てが、そのまんまなんだから。

どこかの県知事だったあの人も、ここではそのまんまなんだ。

そのまんまで、それでいてみんなが仲良しなんだよ。

それはどっかの世界で夢にまで見た風景なんだってね。

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き色マカロンがさ、のど渇いたって言うから、水のみ場に連れて行ったよ。

そしたらさ、

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蛇口から、ピュ~って水が出てくるのが、面白いんだって。

腹かかえて笑ってたよ。

なんだか僕もいっしょになって笑っちゃった。

懐かしい感覚。

ピュ~で笑うのって。

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それからね、みんなでブランコにのったんだ。

ブランコが行ったり来たりしながら、僕らはこんな話をしたよ。

「行ったら来るんだよ。来たら行くんだ。」

「キミの思ってることは、キミだけの”モノ”じゃない。」

「僕が思ってることは、キミが思ってることでもあるし、

キミの思ってることは、僕の思ってることでもあるんだ。」

「だから、”失う”なんて悲しみは、ここには必要ないんだよ。」

「はじめから全てが、キミにも僕にもあるんだ。」

「ただ、はじめから無いものをあったように勘違いしてただけさ。」

「ここにあるのは、無いもの以上にあったものばかりなんだよ。」

「だから・・・・」

あ、そろそろ日が傾いてきちゃたね。

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最後に砂場でお山を作って遊ぼうか。

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マカロンたち、砂まみれになってお山を作ってた。

そして、そのお山に何度も何度もトンネルを掘ったんだけど、すぐつぶれちゃうんだ。

だから、僕がトンネルの掘り方を教えてあげたんだ。

こんな僕だって、子供の頃にはトンネルを掘ってよく遊んだからね。

僕は少し得意げに、トンネル掘りのかつての腕前をマカロンたちに披露した。

その最中、僕はハッと”何か”を思い出したように、夢中になってトンネルを掘った。

その”何か”をこの手でハッキリと掴み取ろうとするかのように。

そっと息を殺し、静かに砂をつかんでは出し、つかんでは出しの作業を繰り返した。

”思い出した何か”は、きっとトンネルが貫通した先に見える景色の中にあるにちがいない。

そして僕は、その景色の中で思いっきり、空気が吸いたかった。

懐かしく新しい景色と新しく懐かしい空気、そして無色透明な記憶。

きっと僕は、本当の景色を自分の目で、自分の手で、自分の肺で確かめたいんだ。

ただ、それだけだ。

だから、僕は掘った。

トンネルが完成するまで、夢中になって、穴を掘った。

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え?なんか変?

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変って、どこらへんが?

いやいや、気のせいでしょ?

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そんなこと、あるわけないですよ。

いくらなんだって・・・・そんなこと・・・・

あ”ぁ~あ!!やっぱりなぁ!

やっちまった!

失敗しちまった!

あと少しだったのに!

・・・・一瞬の気の緩みだった。

あと一歩でトンネルが貫通するって時に、なぜだか子供の頃のある事を思い出してしまったんだ。

ある時、アリの観察に夢中になっていた時があって、そしたら友達に

「そんなに夢中になったらオマエ、アリになっちゃうぜ!」って言われた事があったんだ。

その事を・・・・不意に思い出してしまって・・・・。

なんでこんな時に・・・・そんな事を思い出すんだ・・・・?

え?まさか!マカロンといっしょに夢中になってる僕の顔が?

マカロンになっちゃってるって?

僕がマカロン?

よしてくれよぉ~、そんなはずないじゃぁぁぁあん。ないじゃぁぁぁあん。

ここは現実だよ~。

え?あれ?ちがうっけ?

ここは夢で、あっちが現実だっけ?

いや、こっちが現実だっけ?

いや、どっちがどっちだっけ?

れれれれれ?

まぁ、どっちでもいいや。

どっちにしたって、自分のやる事が見つかったわけだしさ。

それに「夢中になる」って事の意味がわかったような気がするんだよ。

どっちの世界にいたって、夢中になれば、そこは夢のように楽しい世界なんだ。

それさえ知っていれば、トンネルの向こうだろうがこっちだろうが、どっちも同じ世界なのさ。

え?トンネルいつ完成するのかって?

まぁ、今度にしようよ。

なんだか、疲れちゃったよ。

それにさっきから、妙に頭が重いっていうかさ、

かったるいっていうか、甘ったるいっていうか。

「・・・・・・」

「・・・・・・え?うそ!」

「・・・・・うそだぁ!」

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「うそうそ!これ、うそだよ!これ夢だよね~?」

「うそぉぉぉぉおおおだぁぁあああ!」

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・・・・まだまだキミはわかってないようだね☆

「それじゃ、またね。次の夢で逢いましょう。」




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「僕はマカロン~前編~」

この前、知人と会った際、お土産に「マカロン」をもらった。
スイーツ(甘菓子)はたまに食べるぐらいだが、甘いものは大好きだ。
だからそれをもらった時はすごくうれしかったんだ。
「うわぉ!マカロンかぁ~!ほんとうれしいなぁ!どうもありがとね!」
とお礼を言って、僕は帰りの電車に乗り込んだ。

「マカロンかぁ~」
「マカロン・・・・」
「マカロン・・・・ねぇ」

って、一体マカロンって何なんだ?
いやいや、マカロンがスイーツだって事は知ってたよ。
でも・・・・実際に見たことがなかったんだ。
つまり名前だけ。知ってたのは。
え?じゃ、あの時知ったか(ぶり)して・・・・?
ん~ん、違う。
マカロンってどんなもなのか、聞く前に電車が来ちゃったから・・・・。

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「ムズムズ」

だからさ、電車が発車してからは、どうにも気になって、
なんべんも中身を見てみようと思ったんだけど、
さすがに電車の中でガサゴソ音を立てて見るのもなんだし、
大人しくガマンして家に着くまでのお楽しみにしようと思ったんだ。
けどその時さ、なんだかものすごいインスピレーションが僕の頭の中に急停車したわけよ。
それはね、マカロンという言葉の響きだけをたよりに、
想像力だけでもって、それがどんな形でどんなスイーツなのかを
ピタリと当ててやろうじゃん!って感じのとてもスリリングな遊びのアイデアさ。

題して「オレはマカロンを知っている」。

きっとすごい事になると思うよ。
見たこともないのにさ、言葉の響きと想像力だけでピタリと当ててしまおうってんだから。

”わざわざ中身を開けなくったって、「オレはマカロンを知っている」。”
”知ったかなんて言わせない、「オレはマカロンを知っている」。”
”見たこともないくせに、「オレはマカロンを知っている」。”
”マカロンはオレの事を知らない、けど「オレはマカロンを知っている」。”

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「オレは天才」

そんな大それた事、言っちゃっていいのかな?なんて思いつつも、
電車に乗り込んでから、いくらかモンモンとしていた僕の胸のうちは、
これを機に一気に爽快、晴れわたる空と化した。
そういえば、電車がトンネルを抜けると、そこは想像を絶する世界が広がっていた~なんて表現がよくあるけれど、まさにそんな感じだね。
でも、この路線にトンネルなんてものは1つもないんだけどね。
あれ?そういえばマカロンって”日本語の発音”?
だとするといくら言葉の響きって言ったって、ほんとにそこから本物のマカロン像に辿り着くなんてことができるのかな?
というかマカロンって何語?あれ、先入観から洋菓子だとばかり思っていたけど、ひょっとして日本のスイーツ?和菓子?んなわけないよね?よね?よね?あれれ?
などなど、少々のツッコミや不安は否めなかったが、そんな事には動じないほどに
このヒラメキな遊びに挑む僕の自信は、並々ならぬものだった。
とにかくまぁ、そんな感じでマカロンとやらを言葉の響きと卓越した己の想像力でもって
果敢に挑んでみたってわけ。で、これが例のマカロンさ。

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「天才のスケッチ」

①マカロンの”マ”という響きから推測するに、丸みを帯びたイメージが浮かぶ。
②マカロンの”ロン”を発する時の舌の巻き具合から連想すると、
やはりそれはどこからしら丸みを帯びていて、ぷるんとした食感を持っているのではないだろうか。
③マカロンをゆっくりと発音すると、なんだか口の中で水分が奪われそうなモッタリする感じの練り物ではないか?という推測もたつ。
④もしフルーツが絡んでるとしたら、マンゴーあたりで間違いない。でもフルーツはないな。
⑤黄色、ベージュ系。
⑥しっとり感。
⑦男女に例えれば女性である。しかも豊満な。(スイーツは皆女性かも?いやチョコレートだけなら男だな。)
⑧ハッキリと主張はするが、甘えん坊である。
⑨スプーンで食べるのが望ましい。
⑩ライバルはモンブランである。
⑪独創的な形はしていないが、かわいらしい愛嬌のある形をしている。
⑫マカロンの”カロ”の部分の発音は、表面がアメか何かでうっすらとコーティングされたような、そんな光沢感を感じさせる。
⑬残念ながら味までは特定できず。

ま、こんなところかな。間違いない。「オレはマカロンを知っている」のだから。
それから間もなく帰宅して、僕はすぐさま中身を開けてみた。驚きの瞬間である。

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「ドキドキ」
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「     」
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「・・・・・・」
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「・・・・・・」
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「バ~ン!」
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「ド~ン!」
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「ドバぁ~ン!」

結論から言うと、大体が当たってた気がする。
あんなところやこんなところ・・・・
丸いところとかは完璧だった。
普通ならこれを完全なる一致と断言していいと思うんだが、
皆さんはどう思われるだろうか?


「オレはマカロンを知っている」
「オレはマカロンを知っている」
「オレはマカロンを知っている」

「はい、はい、ごめんなさいよ!」

だって僕の脳は砂糖でできてますからぁ。
そんな僕の想像力なんてのは、こんなもんですって。
スイーツよりも甘ったるいですよ。
べつに超能力検証番組とかそんなんじゃないんだし、
当たったとか、外れたとか、

・・・・完敗だよ。マカロン。

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「ポッカリと・・・・」

それからしばらく、ものすごく重苦しい雰囲気が部屋中を占拠した。そいつは世界中の色という色を僕の視界からどんどん奪い去っていくつもりらしい。
色とりどりのマカロンも、もはや僕には、モノクロのかたまりにしか見えなくなっていた。
こんな時、あいつは酒でもかっくらうんだろうか?
と飲めもしない酒のことなんか考えたってしょうがない事くらい自分でもわかっているのに、そんな事を考えてしまうほど、何でもいいからこの状況を打開する術が欲しかったんだ。
でも、思い浮かばないまま、僕の心は落ち込む一方だった。
とそんな時、気のせいだろうか?足元で何かがささやいたような気がしたんだ。
「あれ?マカロンが?」
よく見ると何色かは判別がつかないが、何個かのマカロンが自分の足元に転がっていた。
いつの間に皿から転げ落ちたんだろう?
僕が、足元のマカロンを拾い上げようとした、ちょうどその時、
それがしゃべった。

「そんなにショゲルなよ。オチコムような事じゃないってば~。今からいっしょにアソボウぜ!」

・・・・マカロンがしゃべってるね。
しかもオレ、慰められてるし。
もうだめだ・・・・。よほど、さっきの事がショックだったのか・・・・。
どうやら自分は幻覚を見ているらしい。重症だなこりゃ。
こういう時は、ふて寝するにかぎるんだ。
きっとあいつもふて寝をするにちがいない。
もうマカロンなんかどうでもいい・・・・

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「かけら」

激しい戦いに挑んだ末の 疲弊しきった”僕の心”はボロボロだった。
すぐさま心の修理(緊急オペ)が必要かもしれないな。
僕は、己の甘い想像力で花と散った”マイハートのかけら”を
やさしく労わるように寄せ集め、こう思った。
「なんだか、ちっちゃくね?・・・・(若者風に)」
そっか、それだけオレの器がちっちゃいって事か。
たまんないね~、もう勘弁してくれよ。
ここまでくると、もう笑っちゃうくらいのどうでもよさで、それでも、
僕の”ちっちゃなハート”が愛しく、
必ずや修復させるための手段を夢の世界に託して、僕はそのまま寝てしまった。
握りしめた”マイハート”が潰れないようにして。

(~以後、後編に続く~)
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☆居眠りマスター☆

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自分が住んでいる所のちょうど裏手に市民図書館がある。

先日、用事があるわけでもなくブラブラ~と寄ってみたら、

奥の方にある木漏れ日が差し込むイスに腰掛けて、気持ちよさげに寝ているおじさんを見かけた。

図書館は寝るところだと半分思っている自分だが、

かなりの小心者でもあるので、寝るにもちょっとした工夫を要する。

極力端っこの人気のない席で、何でもいいから本を手にし、

読んでるふり(間違っても本は逆さに持たない)をしながら、

いつの間にか寝てしまいましたよ~といったよくあるシチュエーションをさも自然に、

かつ遠くの人の目に最大限アピールしながら、

表向きには、いたって”悪意のない居眠り”を演じつつ、寝に入るのだ。

まぁ~なんてめんどくさい!

”図書館は寝るところだ”などと威勢良く言っておきながら、

そのくせ小心者だから、そんなふうにめんどくさい事になってしまうのだ。

いやいや、小心者はめんどくさいとかそんな話じゃなく、

元来、図書館というところは本を読むところであって、そもそも寝るところじゃないし・・・

それに小心者がなんでこんなところで寝ようとするんだよ~!

というのが真っ当な考えなのでしょうが・・・・。

ところがである。先程のあのおじさんは違う。

手には何も持っていないばかりか、堂々とした感じでそこに寝ている。

そして寝ている事に対して、誰も不自然に思わないような、そんな不思議オーラさえ漂わせている。

特別にこの人だけは、ここでの居眠りが許されているんですよ・・・・

と、そんな不思議な気配が館内じゅうに充満してるかのようだ。

スヤスヤと堂々と、どこまでも果てしなく気持ちよさそうに、

木漏れ日まで浴びちゃって・・・・そのおじさんは。

それは思わずスケッチしたくなるような心奪われる寝顔だった。

そんな寝顔に出くわしたのは、いったい何年ぶりだろうか。

僕は男女問わず他人の寝顔の何かに妙に心を奪われる時がある。

だから急いで家から紙とペンを持ってきてすぐにスケッチをした。

僕は外でスケッチをとる時でさえ小心ぶりが発揮されてしまう。

適当に本を手にとって読んでるふりをしながら、そのおじさんの寝顔を観察した。

そしてスケッチし終えてすぐに家に帰り、PC上で素早く着彩。

今後の制作の上で今回のスケッチが役に立つ事があるのかどうかは分からないが、

とりあえずそのおじさんの寝姿の雰囲気が、なんとなく出せたところで終了。

あとは時が来るまで放置・・・・かな。

で、今回アップした↑冒頭の画像がそれです。

とても神々しいです。

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ところで、なぜ夢の中では空が飛べたり、

自分めがけてものすごい速さで向かってくる車が、

限りなくスローモーションで見えたり、

”あっ”という間に別の場所に行けたりするのだろうか。

現実にはありえない展開が夢の中では次々と当然のように描かれていく。

なぜ夢を見るのかという理由の一つに、現実の世界で抑制したものを

抱えたままにしていると、やがて精神に支障をきたしてしまう為、

それらを解放するために夢を見るのだ・・・・という人がいる。

そして夢には、時間や空間の概念が無く、だから空を飛ぶ事だって可能であるし、

現実には見られないような出来事が次々と起こるのだと・・・・。

だとすると、我々はよっぽど現実の世界で、時間や空間の概念をはじめとして、

あらゆる事に抑制をきかせて生活しているという事なのではないだろうか。

夢の中で理路整然と事が進むような物語を見た記憶も人から聞いた記憶もあまり無いように思う。

ひょっとしたら、抑制を解放させているとかそんな生易しいものではなく、

現実においての不自由極まりない時間や空間という概念への恨みを

とことん夢で晴らしているのだと言い換えてもいいぐらいの話なのかもしれない。

だがなぜそこまでして、現実の世界でそのような抑制が働くのだろうか。

人間らしい社会というものを求めて、そしてまたその一員として、

それを達成する為に課せられた必要な抑制というものも確かにあるのだろう。

だが、我々は夢に頼らなくとも、この現実世界で抑制の解放のごとく、欲望をとことん満たそうとする。

それでチャラにはならないのだろうか?ならないようなカラクリがあるのだろうか?

まぁ、そのような類の常識的と思われる範疇の抑制と欲望といった事も含めて、

あらゆる方向から色々と考えてみる必要がありそうだ。

ひょっとしたら、あの居眠りおじさんのあの寝顔にもヒントが隠されていたかもしれない。

いや、もしくはあのただ者ならぬ存在感にこそヒントがあったのか?

もっとよく観察してればよかったかもな。

少なくとも、このような感じで勝手気ままに考えてみたりする事は、それはそれで楽しい。

意外なところで面白い発見に繋がるような事もあるのだから。

しかし中には、「そんなくだらねぇ事考えたって、飯のタネにもなりゃしねぇよ」と言う人がいるだろう。

多分、そんな人こそ、今夜の夢で思う存分暴れているに違いないのだ。


ふと思う事がある。

寝ている人はおかしな夢を見ている?

いや本当は、寝ている人は夢の中で、おかしな抑制から解き放たれて

現実の真の姿を見ているのではないだろうか・・・・

そして起きている人は、現実の中で居眠りをしていて、

抑制に縛られた作り物の夢を見ているのではないだろうか・・・・


気持ちよさそうに寝ていたあのおじさんは、寝言で僕にこう言った気がした。

「こんなところで居眠りをしてはいけないよ」と。

           ※
           ※
           ※
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~以前描いた寝ている人のスケッチがどこかにあるはずだと思って、探し出した一枚を同時にアップしておきます。持ち物のほとんどのものを廃棄処分にしてしまったので、あったのは一枚だけでした。日付からすると9年前のものですが、この頃の自分の流行で画面をわざとゆがませてスキャンしているようです。でもなんだかよく似てるんだよなぁ。この時の人と今回の人と。同じ人だったりして・・・・。まさかそんな夢みたいな話があるわけ・・・ないよねぇ?
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